謙信×兼続は史実?Wikipediaの「直江兼続」で歴女が暴走

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Wikipediaは記述の信憑性が何度も問題になっており、裏では熾烈な議論や削除合戦が繰り広げられていたりする。昨年の大河ドラマ「天地人」で脚光を浴びた「直江兼続」の項目もその1つ。「直江が上杉謙信と男色関係にあった」という記述の是非でモメているようだ。

問題となっているのは「兼続は謙信の近侍や小姓であったと同時に、謙信がその生涯において最も寵愛した衆道の相手であった。」という記述。
史実的には兼続が謙信に仕えていたという証拠はなく、両者に接点があったことを示す文献すら残っていないため、「個人的な願望と受け取られかねない内容で編集されている方が目につくようです。」「謙信と兼続の関係について、「深く寵愛」など、史料的事実から全くかけ離れた文章の粉飾がなされていますが、客観的な記述を要する事典にはそぐわない形容ですので、修正します。」と、ほかの編者にやんわりとたしなめられている。
しかし、問題の項目を執筆した編者はあくまで兼続の男色関係に執着。カップリングの相手を上杉景勝に変えて食い下がる。

「景勝の女性に対して淡白な点や49歳まで一切、子を儲けなかった事実から見ても、彼(景勝)が男色好きだったことは容易に理解出来る筈です。当時男色が盛んだったことから鑑みても、美男子の兼続との間に衆道関係があったことは想像に難くありません。もう少し男色を称揚していた戦国期の時代背景に就いて学んで欲しいものです。」(ノート:直江兼続)

言うまでもないことだがWikipediaは「想像」を書くサイトではない。思わず「レキジョ乙」と言いたくなる暴走っぷりだ。現在、問題の記述は削除され、この論争の様子は「ノート」で見ることができる。

ノート:直江兼続

2010年01月08日 22時36分
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